京都葵まつりとはどんなお祭り?斎王ってなに?どんな儀式があるの?

京都の三大祭りのひとつ「葵祭」はわが国の祭のうち最も優雅で古式ゆかしき祭として知られています。

「京都御所」を出発点に「下鴨神社」から「上賀茂神社」を総勢500名もの平安貴族の姿を再現した人達が列を作り、京の町を練り歩く、優雅できらびやかな葵祭。

そんな葵祭ってどんなお祭りなのか、その代表とされる斎王とは何なのか、いろいろな儀式も含めてご紹介します。

葵祭の起源

京都三大祭りの一つに数えられるのがこの「葵祭」です。

かつて賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを、貴族たちが見物に訪れる貴族の祭となったため、日本の祭りのなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残っている厳かな雰囲気の行事となっています。

『山城国風土記』

賀茂祭の起源は『山城国風土記』によると、欽明天皇の時代に、天候不順が続き作物の育成が悪く、飢饉(ききん)や疫病に見舞われ、農民が憂い苦しんでいました。

それを心配した天皇が、神官に占わせてところ、賀茂大神の祟りであることがわかりました。

そこで、ただちに天皇は吉日である4月を選び、卜部伊吉若日子を勅使として遣わして、馬に鈴をつけ駆け比べをしたり、人に猪の頭をかぶらせ、盛大に祭祀を行なったところ、天候不順はなくなって、晴雨のリズムが回復し無事に五穀が実って豊作となりました。

それ以来、賀茂神は折雨止雨、河川・治水神、さらに農業、産業の守護神としての崇敬を集めるようになりました。

その後、

桓武天皇の平安遷都の後、国家的な祭りへと発展していきました。

朝廷の厚い崇敬を受けたことにより当時から続く朝廷の祭祀の様子を今日にとどめるのが、毎年さわやかな新緑におう皐月に行われる「葵祭」なのです。

 

どんなお祭り?

祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなりますが、現在は「路頭の儀」と「社頭の儀」がおこなわれています。

路頭(ろとう)の儀と社頭の儀(しゃとうのぎ)

一般的に葵祭の行列といわれているのは、よく写真やパンフでも目にする時代行列のことで、「路頭の儀」といわれる葵祭で一番の見どころです。

引用:http://京都のitベンチャーで働く女の写真日記.com/

約1キロにも及ぶ長さの行列には、平安貴族そのままの装束姿の約500名と馬約40頭、牛4頭、牛車2台、輿1丁が、馬に乗った男性を中心とする本列女性の斎王代を中心とする女人列に分かれて列をなして、京都御所の建礼門前を出発します。

次に下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ巡行します。その道のりは約8キロにもおよぶのです。

そのコースと時間は、毎年同じ経路です。

1.京都御所 堺町御所を10時30分ごろに出発

2.丸太町通・河原町通を経由

3.下鴨神社に11時40分ごろに到着

下鴨神社にて社頭の儀(しゃとうのぎ)

1.下鴨神社を14時20分ごろに出発

2.下鴨本通を経由し、洛北高校前を14時40分ごろに通過

3.北大路通を経由し、北大路橋を14時50分ごろに通過

4.賀茂川堤を経由し、上加茂神社に15時30分ごろに到着

上賀茂神社にて社頭の儀(しゃとうのぎ)

社頭の儀(しゃとうのぎ)とは、行列が下鴨・上賀茂両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納します。
さらに神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。

 

葵祭のヒロイン「斎王代」とは

その名称が示すとおり、昔の斎王に代わるもの。斎王の代理という意味です。

斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、「斎」は「潔斎して神に仕えること」をいいます。

斎王はかつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の皇女のことなのです。

現代では京都在住の一般市民から選ばれた女性がその代理とした「斎王代」を中心に女人列が加わり、平安調を偲ばせるみやびな雰囲気を醸し出してます。

祭の主な前儀

祭の主な前儀は、5月3日に下鴨神社(京都市左京区)で行われる流鏑馬(やぶさめ)神事に始まり、4日の斎王代御禊(みそぎ)の儀、5日の歩射(ぶしゃ)神事、12日に神霊を迎える御蔭(みかげ)祭と続き、15日の葵祭を迎えます。

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斎王代・女人列御禊神事(さいおうだい・にょにんれつみそぎしんじ)5月4日午前10時~

葵祭の斎王代(さいおうだい)以下、女人列に参加する40人の女性が身を清める神事。

毎年、上賀茂神社と下鴨神社の交代で行われます。

下鴨神社では、十二単を着て境内の御手洗(みたらし)池で水に手を浸して身を清める御禊(みそぎ)を行います。

 

流鏑馬神事(やぶさめしんじ)5月3日 午後1時~午後3時30分:下鴨神社

流鏑馬は葵祭の道中をはらい清める神事です。

境内の糺(ただす)の森で、狩装束姿の騎手が疾走する馬の上から矢で的を射貫く神事で、下鴨神社で行われます。

「騎射」がルーツとなっており、全長360メートルの直線馬場には、途中 100メートルおきに設けられた3カ所の的(50センチ 四方の木の板)を、つぎつぎと馬上から鏑矢で的を射ぬいていきます。

 

歩射神事(ぶしゃしんじ) 5月5日 午前11時~:下鴨神社

引用:http://www.shoai.ne.jp/kyoto/koto/koto_05.htm

葵祭の沿道を弓矢を使って清める魔よけの神事で、下鴨神社で行われます。

歩射神事(ぶしゃしんじ)は、3日に行われる馬上の流鏑馬に対して、地上で矢を射ることに由来しており、平安時代に宮中で行われていた「射礼(じゃらい)の儀」が始まりと伝えられています。

本殿前での神事の後、次の儀式が行われます。

射手が弓の弦を鳴らして天地四方の邪気を払う「蟇目(ひきめ)式」

2本の矢を射て、楼門の屋根を越えて鏑矢を飛ばす「屋越(やごし)式」

大きな的を射る「大的(おおまと)式」

連続的で矢を射る「百々手(ももて)式」

 

賀茂競馬(かもくらべうま) 5月5日 午後2時30分~:上賀茂神社

http://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/

平安時代に院政の始まったころに五穀豊穣を祈願して競馬を上賀茂神社に献じたことが起源とされています。

舞楽装束に身を固めた乗尻(騎手)たちが、菖蒲根合わせ、必勝祈願の奉幣の儀を行った後に、約400メートルの芝生の直線馬場で左右に分かれて馬に乗り、計6組12頭が順番に出走します。

境内の馬場でその速さを競う競駈(きょうち)は儀式の後、14時頃より始まります。

上賀茂神社の祭神・賀茂皇大神は競馬の守護神とされています。

 

御蔭祭(みかげまつり) 5月12日 午前9時30分~

葵祭を前に、下鴨神社の祭神の荒御魂(あらみたま)を比叡山の西、八瀬の御影山にある「御蔭神社」から下鴨神社に迎える神事です。

神地に新たに顕れた荒御魂を、本宮の和御魂と合体させ、霊力をより若々しきものにするもの。

約20キロあるコースを烏帽子(えぼし)、狩衣(かりぎぬ)姿の神職や氏子ら約100人が下鴨神社を出発します。

御蔭神社で荒魂を移した後、帰路最終の下鴨中通の北大路通交差点付近から、下鴨神社までの約1キロを馬とともに徒歩で巡行します。

この後、16時頃に神社境内の糺の森(ただすのもり)で荒魂を迎えた喜びを表す「切芝の神事」において、「東游(あずまあそび)」の優雅な舞が奉納されます。

 

-おしまいに-

一般的に葵祭の行列といわれているのはよく写真やパンフでも目にする、時代行列のことで、「路頭の儀」といわれるものです。

沿道からゆっくり見物したい場合は、有料の観覧席があります。

京都御所と下鴨神社で販売されている前売りの全指定席チケット(1席2050円)を購入するか、4月5日ごろからは旅行代理店やコンビニ、チケット販売店やネットでも購入することができます。

そのほか、たくさんの見どころがあるので、何時にどこへ行ったらいいのか、よく確認して楽しんで下さいね。

そして、動く王朝絵巻と呼ばれる「葵祭」。平安の雅な雰囲気を思う存分堪能しましょう。

 

 

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